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2013.5.12 礼拝メッセージ: 「力と愛と慎みとの霊」  Uテモテ1:1−18

本書は、パウロがネロ皇帝の迫害のもとで殉教(じゅんきょう)の死を遂げる直前に、愛弟子テモテにあてて書いた絶筆と言われている。彼は自らの死を目前にしているのに(4:6-8)、自分のことは顧みず、牧会する上で困難にぶつかっている青年牧師テモテを思って、彼に助言をしている。

 

テモテは、パウロと出会ったとき、すでに救われていた。彼の父はギリシヤ人だったが、母はユダヤ教からキリスト教に改宗したクリスチャンで(使徒16:1)、彼は祖母と母の影響を受け、キリストの十字架を信じる信仰によって救われるという「純粋な信仰」(5節)を受け継いでいた。

 

信仰は世襲(せしゅう)ではない。認罪−悔い改め−十字架信仰を通って赦罪−義認−神との和解−新生の救いを個人的にいただかなければならない。救いが不明瞭な、純粋でない信仰に陥らないように注意したい。親たる者は、わが子に純粋な信仰を受け継がせる責任があることを肝に銘じておきたい。

 

パウロが、自分の死期を前にして、霊の子どもであり、伝道牧会に困難を覚えていたテモテに一番言いたいことは、神が与えてくださった力と愛と慎みとの霊を堅く守れということだ(7節)。力とは、主に従う力、またその従順に基づいた宣教の力だ。意志をもって従うのだ。愛とは、神が独り子を十字架にかけられた、犠牲の伴った愛だ。そして慎みとは、神の御前での謙遜だ。

 

私たちにもこの力と愛と慎みとの霊が必要だ。逆は「おくびょうの霊」(7節)だ。罪とサタンに対する臆病(おくびょう)だ。相手を恐れて、後ろに引いてしまうという姿勢であるなら、神に喜ばれることができない。

 

力と愛と慎みとの霊は、イエスにあふれていたものだ。羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている群衆をごらんになって憐れまれ(マタ9:36)、大胆に福音を宣べ伝えられた宣教の力、弟子たちの足を一人ずつ洗っていかれるほど彼らを愛し抜かれた愛(ヨハ13章)、十字架の死まで徹底して御心に従われた慎み(ピリ2:6-8)―これこそイエスの姿であり、私たちが内にいただきたいものだ。

 

力を、愛を、慎み深さを求めるのではない。主ご自身を求めるのだ。キリストを内にいただいて、力と愛と慎みに満ちた魂にならせていただこう。

 

困難はある。試みは来る。終わりの時代はなおさらだ。しかし、恵みによって内側から強めていただいて、意気そそうしないように、主を見上げて勝利し、前進して行こう。

 

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