宝塚栄光教会 HOME アクセス お問合せ

礼拝へようこそ

集会案内
礼拝
教会学校
聖書の学びと祈り会
はじめての方には
教会からのお知らせ
チャーチニュース
教会員に聞いてみました。
キリスト教 Q&A
礼拝へようこそ
岩間牧師の紹介
24時間希望のダイヤル
セレモニー
教会のアルバム
一覧に戻る 前へ 次へ
2013.7.14 礼拝メッセージ: 「求める者に賜う聖霊」  ルカ10:38−11:13

イエスは、エルサレム郊外の寒村べタニヤのマルタ、マリヤ、ラザロの家をよく訪問された。その日も主は彼らの客になられた。マルタはいつものように、主を迎える準備に明け暮れていた。主に喜んでいただこうとの一心だった。彼女は、妹マリヤが主の足元に座り込んでいるのが不満で、主に不平をもらした(40節)。

 

イエスは彼女の不満の原因を、思い煩いからだと指摘された(41節)。思い煩いは、心がバラバラに乱れている状態のことだ。彼女は、あれもこれもと気を遣い過ぎだった。今、何が一番大切か、主は何を求められるかを考えるべきだった。「どうしても必要なことは…一つだけです」(42節)と主は言われた。マリヤはその一つを知って、それを選んだのだ。それは、主の足もと座ってみ言葉に聞き入ることだった(39節)。これがその時一番大切なことだった。

 

その時のイエスのエルサレム行きの旅は、十字架にかかるための旅だった。主は天に挙げられる時が満ちようとしていることを知って、み顔を堅くエルサレムに向けて進んでおられた(9:51)。その途中のことなのだ。その主をここに迎えていたのだ。

 

マリヤは、主が自分の罪のために十字架にかかられることが分かっていた。その主が来ておられるのだ。だから、今はただ主のみ言葉を聞きたい、今でなければ聞けないみ言葉、十字架にかかられる主のみ言葉を、一言も聞き逃すまいという思いで、主の足元に座ったのだ。

 

無くてならぬものは、まずみ言葉を素直に聞き、従うことだ(1サム15:22)。無くてならぬただ一つの大切にものは、私を愛し、私のためにご自身を捨ててくださった神の子イエスのみ言葉、死なれたが復活され、今も生きておられるイエスのみ言葉だ。み言葉を聞くことを奪われたら生きていけない、というほど大切なものだ。マリヤは善いほうを選んだ。み言葉に聞き従うことを選ぼう。

 

イエスは「ある所で」祈っておられた(11:1)。たぶん主のいつもの祈りの場所ゲッセマネだ。おそらくこれからの十字架の贖いの大事業について祈っておられただろう。その主に弟子たちは、祈ることを教えてほしいと求め、主は「主の祈り」を教えられた。その後、不親切な友人の譬えを語られた(5-8節)。自分のことしか考えない者でも、執拗な願いには応えるなら、まして我らを愛し給う神は、我らの祈りに答えられないはずはない。

 

神は必ず祈りに答え給う。どんな親でも、我が子に害になるものは与えない。神を敬わぬ親でも、我が子に良きものを与えるのなら、「まして天の父は求むる者に聖霊を賜わざらんや」(13節文語)。良い物とは聖霊だ。我らが祈り求めるべきものだ。神に喜ばれない自我を十字架につけ、不純物が焼き尽くされ、キリストが聖霊となって内住されるという恵みを求めるべきだ。

 

マリヤが求めたのはみ言葉、主が弟子たちに求めるよう言われたのは聖霊だ。み言葉と聖霊、これが無くてならぬものだ。祈りが定まっているか。何を求めるべきか照準が合っているか。正しい選択がされているか。み言葉と聖霊を選び、求めよう。主に信頼して、疑わずに、大胆に求めよう。

 

御子をも惜しまず与え給うた神は、「などか之にそえて万物を我らに賜わざらんや」(ロマ8:32文語)。信じて求めよう。祈りは聞かれる。

 

動画を見たい方はこちらから

PAGE TOP
Copyright(C)2007 宝塚栄光教会. All Rights Reserved.
〒665-0021 兵庫県宝塚市中州1-15-9
TEL:0797-73-6076 FAX:0797-73-6075