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2013.7.28 礼拝メッセージ: 「豊かに実を結ぶために」  ヨハネ15:1−17

「豊かに実を結ぶために」  ヨハネ15:1−17

 

16節は、我らへの励ましのみ言葉だ。我らは主に選ばれた。こんな我らが選ばれたのは、ただ恵みによる。

 

神は我らを「世の基を置かざりし先より」(エペ1:4元訳)、つまり天地創造の以前から、キリストの十字架の贖いによって、我らを選び給うた。我らの罪のために、罪を知らない神の子が十字架にかかり、最大の愛を現された(13節)。罪の悔い改めと十字架を信じる信仰によって、我らに赦罪と義認が与えられる。この救いが、実は天上で永遠の初めから計画されていたとは、驚くべきことだ。

 

この尊い選びの目的は、我らがいつまでも残る実を結ぶこと、また祈りが応えられる生涯を送ることだ。

 

1.結実のため

 

イエスはぶどうの木と枝のたとえを語られた(1-6節)。エルサレムに入城されたイエスは、過越の食事の席上で弟子たちの足を洗われ、彼らに最後のメッセージを語られた後(14-16章)、ゲッセマネの園に行く途中、ぶどう畑を通りながらこのたとえを語られた。

 

主は「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です」と言われた(5節)。ぶどうの枝の務めが実を結ぶことであるように、我らは実を結ぶために選ばれた。我らが結ぶべき実とは、まず愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制という御霊の実だ(ガラ5:22,23)。元来我らの内にはこういう実は一つもない。

 

イザヤ5:1-4に、神の期待を裏切った野ぶどうのことが記されている。我らのことだ。生まれながらの罪人ではどうすることもできない。まず十字架による救いをいただきたい。しかし、救われただけではまだ実はない。肉だから肉の思いしかない(ガラ5:19-21)。

 

御霊の実とは、御霊が内から結び給う実だ。イエスは「行って実を結び」と言われた。行けと言われる。しかし、また留まれとも言われる(4節)。行くためには留まらねばならない。イエスは十二使徒の選定のとき、まず「彼らを身近に置」(マル3:14)かれた(口語訳で「みそばに置くため」)。それから彼らを遣わされた。まず主のもとに置かれなければならない。

 

「わたしにとどまりなさい」は英訳で“abide in me”だ。主の内に、つまり主が内に留まってくださる恵みだ。救われたはずなのに、なお神に喜ばれない肉をキリストと共に十字架につけ、虚しくなった魂にキリストが内住し給う(ガラ5:24)。御霊の実とは、この恵みによって初めて結ばれる実だ。何ものにもまさって主を愛し、隣人を愛する愛、苦難の中にあっても持つことが出来る喜び、主が共に在す確信から来る平安…、こういう結実を神は待ち給う。

 

主に喜ばれる実、主が取って食べて満足し給う実を結びたい。そして伝道の実を結びたい。私という一人のクリスチャンを通して、さらに他にクリスチャンが生まれてくる、そういう結実を見たい。

 

2.聞かれる祈りをするため

 

祈りは我らの武器だ。主イエスの名による祈りは確実に神のもとへ届けられる。天の突き抜けた祈りを捧げたい。大胆に神に膝詰め談判をする信仰の祈りを捧げたい。

 

祈りにおいて、膝の下にサタンを組み伏せて勝利をすることができる。神は祈りを聞き給う。ただ神を信頼して、主の名によって大胆に祈ろう。我らのためにいのちを投げ出されたイエスは、血潮のゆえに祈りを神に届け給う。

 

 

恵みによる選びを感謝しよう。そして、実を結ぶ枝にならせていただけるよう求めよう。主に留まっていれば、恵みによってそうなれる。

 

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