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2013.8.4 礼拝メッセージ: 「主の御霊われに在す」  ルカ4:14−30

主イエスの生涯は、十字架に向かっての生涯だった。30才で公生涯に立たれたが、それまではナザレで隠れた生活を送られた(16節a)。

 

主がヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられたとき、天が開けて、聖霊が下られ、「あなたは、わたしの愛する子…」との神の信任のお声を聞かれた(3:22,23)。聖霊に満ちた主は、荒野で試みに遭われ、み言葉で勝利された(4:1-13)。

 

その後、主は安息日にナザレの会堂に入られた。何のためか。

 

1.礼拝するため

 

荒野の試みで、イエスは「主なる汝の神を拝し、ただこれにのみ仕え奉るべし」(マタ4:10文語)と言われた。主は礼拝を重んじられた。「子は父のなさる事を見てする以外に…」(ヨハ5:19)と言われ、礼拝によって父なる神への信頼を表し、神からも信任を受けておられた。

 

主の十字架の血で贖われた我らは、礼拝の民とされた。礼拝せずにはおれない者になっているはずだ。

 

2.聖書を朗読するため

 

会堂でイエスに朗読が求められ、イザヤ書の巻物が渡されると、主は61章1,2節を開かれた。そこに書かれてあるのがご自分のことだからだ。主の生涯はことごとくみ言葉に裏づけられた歩みだったのだ。

 

我らが聖書を読み、聖句を覚えるのは、み言葉が我がものになって、いつでもみ言葉に従う者になるためだ。だから、み言葉が語られているところに出て、自分に語られているメッセージという聞き方で聞きたい。

 

3.御霊に満たされたご自身を示すため

 

イエスは「主の御霊われに在す」(18節)と朗読された。ヨルダン川で聖霊が臨み、御霊に満たされた主は、御霊に導かれて荒野に行かれ、御霊の力を帯びてガリラヤに来られた。御霊に導かれるままの生涯が始まっていたのだ。

 

神の子イエスが御霊に導かれる生涯を送るのは当然だろうか。そうではない。ヨルダン川にまで下られ、祈らなくてもやっていける己れを川底に沈められたからこそ、そのような生涯に進まれたのだ。

 

聖霊は自我と同居されない。我らもヨルダンに下り、古き人を十字架の上に始末をつけ、このところを明確に経て、聖霊に導かれる生涯を始めたい。

 

イエスだから「主の御霊われに在す」と言うことができたと思ってはならない。主は我らの先駆けとして、聖霊による歩みを送られた。我らもそうならせていただくことができる。主が神の御心に全く従われたように、我らも神の御旨に喜んで従う者になる。これがキリストにならうということだ。

 

御心への従順が、聖霊をいただいた結果の一つとするなら、もう一つの結果は宣教の力だ。貧しい人々(18節)とは、@捕らわれ人(罪の奴隷)、A盲人(罪のために魂の目が閉ざされている者)、Bしいたげられている人々(罪を悲しみ、滅びにおののいている者)だ。これらは、我らのかつての姿だ。そんな我らにキリストの十字架による救いがもたらされた。「主のめぐみの年」が告げ知らされたのだ。

 

我らもこの福音を伝えたい。そのためには主の御霊をいただきたい(使徒1:8)。聖霊をいただいて、宣教の力と滅び行く魂への重荷をいただいて、終わりの時代、喜びと自由の福音を携えて、貧しい人々のもとへ遣わされていこう。

 

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