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2013.9.1 礼拝メッセージ: 「共に主に仕える」  ヨシュア24:1−18

モーセに率いられて出エジプトしたイスラエルの民は、荒野の旅を経たあと、ヨシュアに導かれて、ヨルダン川を渡って、乳と蜜の流れる地カナンに入った(3,4章)。民はカナンを分割し、占領した。約束のとおり、土地は自分たちのものになった(21:43-45)。信仰をもって従ってきた者に、主は真実を尽くされた。

 

本章はイスラエルの民に対するヨシュアの晩年の言葉だ。彼は民に選択を迫った(14,15節)。かつて民が偶像礼拝に走った時、モーセも民に選択を迫った(出32:26)。ここでは特に事件があったわけではないが、民の中に偶像礼拝が蔓延し、日常化していたのだ(14,23節)。カナンを攻め取っていくうちに、先住民族と親交を深め、文化の交流が行われ、雑婚もあったのだろう(23:12)。知らない間に異教が流入していたのだ。

 

彼らはいつしか罪に無感覚になり、無抵抗になっていた。もっとも恐ろしいのは罪への慣れであり、罪に対する無感覚だ。大罪を犯すことより罪の日常化が恐ろしい。真に主に従っている者が奇異に映ったり、従っているようで従っていなかったり、どっちつかずになってしまったりする。カナンに定住した民も、そういう状態だった。だからヨシュアは、世を去る前に民を聖別しようとしたのだ。

 

彼は民に、主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕えるよう命じた(14節)。真心、真実をもってでなければ主に仕えることはできない。主は真実を尽くし給うた。彼は、アブラハムとの契約、エジプトからの贖い、荒野の旅、ヨルダン渡河、エリコ攻略、先住民族への勝利…と、これまでの主の恵みを回顧した(2-13節)。主は、不信仰になりがちな民を愛し、忍耐し、憐れみ、導かれた。

 

主はいつも我らに真実を尽くし給う(エレ31:3)。罪のために滅びゆく我らを、御子をも与えて愛し給うた。価値なき者に赦罪と義認を与え給うた(1コリ1:27,28)。我らも真実を尽くして主に仕えたい(ヨハ12:26)。

 

異なる神々を除き去ろう。主以外に仕えているもの、従わない己れがないか、自ら省みよう。そして、すべてを献げて主に仕えよう(マタ4:10)。

 

ヨシュアは「私と私の家とは、主に仕える」(15節)と言った。彼個人ではない。イスラエル全家が主に仕えるのだ。主の救いは個人に留まらず、必ず家族に及ぶ。要は「私」の信仰いかんだ。わが内に偶像がないか、主への純粋な愛があるか、心から従おうとしているか、小さい事にまで従っているかを探っていただこう。

 

民は「我らは我らの神、主に仕え、主の御声に聞き従います。」(24節)と明言し、あかしの石が立てられた(26,27節)。神が民の誓いを聞かれたのだ。もうごまかすことはできない。真実が要求されるのだ。

 

真実に主に仕える家になりたい。家とは家族だけではない、教会でもある。共に主に仕える教会になりたい。一人も落ちることがあってはならない。心を一つにして真実な主に仕える教会になりたい。救いと聖潔の全き贖いを与えるキリストの十字架と復活の福音にあずかり、この福音に生き、この福音を宣べ伝える教会になりたい。

 

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