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2013.10.13 礼拝メッセージj: 「いのちの光を持つ歩み」  ヨハネ8:1−12

福音書には、あらゆる種類の人々が登場するが、たいていは社会的に弱い立場の人々だ。ここに登場する一人の女性は、底辺の人々の代表だ。彼女は姦淫の現場を捕らえられ、パリサイ人、律法学者たちによってイエスのもとに無理に連れてこられた。

 

彼女は、当時の律法に照らして、その場で石撃ちの刑と定められていたが、パリサイ人たちは、わざわざイエスのもとに連れて来た。イエスを陥れるという目的があったのだ。彼らはユダヤ社会の支配階級だったが、最近イエスに人気を奪われ、危機感を持っていた。そこで、神の愛を説くイエスがこの事件にどう対処するか試みようとしたのだ。

 

もしイエスが“律法に従って殺せ”と言うなら、“神の愛の教えに反するではないか”と反論することができた。もし“ゆるせ”と言うなら、律法違反を自ら表明することになる。あわよくばイエスを陥れ、社会的信用を失わせ、邪魔者を消そうという魂胆が、彼らにはあったのだ。

 

ところが、イエスの返答はまず沈黙だった(6節)。得意げにますます言いつのる彼らに、イエスは「あなたがたのうちで罪のない者が…」(7節)と言われた。意外な答えだった。この言葉は彼らの心に深く突き刺さり、目が自分の内面に向けられ、彼らはすごすごと退散した。罪のない者など一人もなかったのだ(ローマ3:10)。

 

イエスと女性だけになった。ついにイエスの前に一人出された彼女は、ただ一人自分を罰する権利のある御方の前にいると自覚し、覚悟を決めた。ところが、イエスは「わたしもあなたを罪に定めない」(11節)と言われた。無罪宣告だ。誰の目にも有罪が明白な者が、一瞬に無罪になった。

 

なぜ赦されたのかが彼女にわかったのは、イエスが十字架にかかられたときだろう。イエスが自分の罪を負われたから、私の代わりに神から罰せられたから、私は赦されたのだとわかった。

 

「わたしもあなたを…」と、イエスは今日も十字架の上から我らに語り給う。我らは、一人の例外もない罪のため滅びゆく者だ。罪なき神の御子は、そのすべての罪を負って十字架にかかられた(2コリ5:21)。罰せられるはずのない御方が罰せられ、罰せられるはずの我らが赦される。しかも努力や精進や修行によらない。ただ信仰による。罪を認める謙虚さと、悔い改める素直さと、十字架わがためなりと信じる信仰さえあれば、誰でも赦される。これが福音だ。

 

イエスは「わたしは、世の光です…」(12節)と言われた。罪をもったままでは、我らは闇の支配下におり、ついに滅びる者だ。しかし、光なるイエスのもとに行けば、必ず闇から救われる。いのちの光を持ち、他をも照らしていく歩みができる。周囲に喜びや平安を与えていく人生に変えられる。あなたもそういう人生を望まないか。

 

一見平穏な人生でも、我らの内面には底知れぬ暗黒が巣食っている。しかし光なるキリストがおられる。十字架にかかり、救いを成し遂げ給うたイエスがおられる。我らを闇の支配下から、光の下に移し替え給うイエスだ。このキリス卜を信じよう。イエスは我らを光の中を歩む生涯に導き給う。

 

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