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2013.11.3 礼拝メッセージ: 「みそばに置くため」  マルコ3:13−19

30歳で公生涯に立たれた主イエスは、会堂で悪霊に憑(つ)かれた男を救い、片手の不自由な人を救い、中風の男を癒(いや)し、福音宣教を力強く展開していかれた。しかし、イエスお一人では間に合わない。収穫は多いのに、働き手が少ないのだ(マタ9:37)。だから、主は働き人を招集された。

 

ガリラヤ湖畔でペテロ、アンデレ、ヨハネ、ヤコブを召し、さらに取税人レビをも召された。「罪人を招くために来た」(2:17)と言われた主は、罪人と同列に置かれた取税人をもご自分の弟子にされたのだ。主は、世で無に等しい者を敢えて選ばれた(1コリ1:28)。

 

ここで主は、正式に十二弟子を立て、いよいよ本格的な活動へ出て行かれる。四福音書は、弟子選びの背景を異なった視点から描く。マタイは手不足(マタ9:37)、ルカは徹夜の祈りの末(ルカ6:12)、ヨハネは結実のため(ヨハ15:16)だ。そしてマルコは、みそばに置くため、宣教に遣わし悪霊を追い出させるためと言う(14節口語訳参照)。

 

遣わされるためには、まず主のみそばに置かれなければならない。主のみそばには何があるだろうか。

 

1.悔い改めがある  ペテロは、主のひざもとにひれ伏し、罪人の自分から離れてほしいと願った(ルカ5:8)。自分の罪の深さが分かり、滅びの恐ろしさに震えおののけば、悔い改めないわけにはいかない。

 

2.罪の赦しがある  悪霊に憑かれた男は、主の足もとに正気になって座った(ルカ8:35)。正気になるとは、主の前の正しい立場を得ること、つまり罪が赦された魂になることだ。悔い改めた者を、真実な主は十字架の血によって豊かに赦し給う。

 

3.み言葉による取り扱いがある  マリヤは、主の足もとに座し、み言葉に聞き入っていた(ルカ10:39)。十字架の贖いは、義認のみならず聖潔(きよめ)まで与える。み言葉の光に照らされて、救われてもなお神に喜ばれない汚れた者、自己中心の姿が分かれば、十字架のもとへ導かれる。そして、自我を十字架につけた魂に、キリストが内住し給う。み言葉に従うことによって取り扱われるのだ。

 

4.安息がある  主の招きに応えて十字架を仰いだ魂に安息が与えられる(マタ11:28)。他では得られないイエスの平安だ(ヨハ14:27)。

 

5.主との交わりがある  全き救いをいただいた魂は、聖霊による豊かな養いを絶えずいただく(申33:3口語訳)。

 

6.訓練がある  主に仕えていくための訓練だ。ロと一家が誘拐された時、アブラハムは訓練した家の318人をもって追撃し、勝利した。我らも主人の心がよくわかり、主人の目的に適う働きができるしもべとなりたい。

 

魂が整えられて初めて宣教へ遣わされる。またサタンとの戦いへ導かれる。結実の生涯は、主のもとに居らせていただくところから始まる(ヨハ15:4)。我らも実を結ぶ者として召されている。そのために主のみそばに居らせていただきたい。

 

召された弟子は、弱い者であったり、短気な者であったりしたが、主によって造り変えられた。我らも主によって造り変えていただくことができる。我らも主の弟子とされたい。十字架の血潮で贖われ、主の用に役立つ者とされたい。みそばに置かれて整えられたい。

 

 

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