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2014.1.5 礼拝メッセージ: 「成熟を目ざして」  ヘブル6:1−12

 本書が書かれた目的は、信仰の戦いを戦いつつ、疲れ、後退し、棄教しようとするクリスチャンを、キリストの贖いがいかに深いものかを示しつつ激励することだった。


 「成熟を目ざして進もうではありませんか」(1節)は、文語訳で「全きに進むべし」とある。ここでわかることは、@出発があるということ。「キリストについての初歩の教え」また、「死んだ行いからの回心」とは、罪の悔い改めのことだ。その前に認罪がある。罪を認め、砕かれた魂で神の前に悔い改めるのだ。A今は未完成だということ。出来上がった人はいない。傲慢になってはならない。B目指す目標が明確だということ。その目標は成熟だ。主が我らを成熟させ給う。だから希望を持つことができる。


 成熟を目指すためには、初歩を後にしなければならない。悔い改めが必要かとか、十字架を信じるとは何かとか、洗礼は必要かとか、死人の復活があるかとか、永遠の裁きはあるかなどということは、初歩のことだ。初歩は大切だが、いつまでも留まっていてはならない。留まっていたら、やがて堕落する(6節)。


 クリスチャンにも堕落する可能性がある。堕落とは、一度救われた者が、のち再び神に背くことだ。弱さのために信仰から離れてしまう程度ではなく、意識的に神に背き、御言葉を踏みにじることだ。それは、御子を再び十字架につけることになり、御子に恥辱を加えることになるから、もう一度悔い改めに立ち帰ることは不可能だ。
 教えの初歩に対して、救いにつながるもっと良いことがあると言う(9節)。罪を悔い改め、十字架を信じて赦罪と義認の救いが与えられるという救いの初歩に対して、もっと良い、更に深い、全き救いがある。過去の罪の精算に留まらず、存在としての汚れからの聖(きよ)潔(め)までの全き救いだ。


 ガラテヤ5:19-21に肉の行いが列挙されている。これらを行う者は神の国を相続できないと明言されている。我らの肉の姿だ。


 しかし救いがある。ガラ5:22,23に御霊の実が挙げられている。これらは自然には結ばれない。神の取り扱いが必要だ。古き人が十字架につけられキリスト内住の恵みをいただいて、内に結ばれてくるものだ。この聖潔の恵みによって、我らは聖い者になる。神の子として、傷も汚(けが)れもない者として御前に立たせていただける。いつでも、何でも喜んで御心にのみ従う者になり、主もそういう我らを信任し、派遣し、福音を宣べ伝えさせ給う。


 成熟した魂とは、恵みによって主に信頼され、主の御心を知らされ、主のために生き、主の栄光を現す者だ。恵みによって、そのような魂にしていただくことができる。律法ではない。義務やノルマや努力目標ではない。内なる恵みと信仰によって、そういう魂となれるのだ。だから望みを持ち続けることができる。失望することはない。ただし信仰と忍耐が必要だ。主を信じる信仰と、約束が果たされるのを待ち望む忍耐が求められる。


 油断してはならない。サタンは小さな隙につけ込む。“信じても無駄だ、待っても無駄だ”とささやいてくる。成熟を目ざして進もう。全きに進むべし。成熟した大人のクリスチャンになりたい。主が成熟させてくださる(ピリ1:6)。ただ謙遜と渇きと信仰をもって主の前に出て行こう。

 

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