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2014.1.19 礼拝メッセージ: 「全き献身」  レビ1:1〜17

本書は、新約の光で読んで初めて意味が分かる、深い書だ。神に造られた者がキリストによって救われたら、聖くなりたいと願う。我らがいかにして潔められて神に近づくことができるか、またどういう者が聖い者であるかを、この書によって学ぶことが出来る。

 

モーセ五書の特に初めの三書には、三位一体の神の働きが現されている。創世記には創造の神、父なる神の働き、神の救いの物語である出エジプト記には、子なるキリストの働き、レビ記には聖霊なる神の働きだ。

 

主はモーセを呼び、会見の幕屋から語られた(1節)。完成した幕屋に主の栄光が満ちた(出40:34,35)。その幕屋の中から主が呼ばれた。かつてモーセはシナイ山の上で律法を受けたが、今や幕屋の中から主の声を聞く。キリストの十字架以後は、我らが主の声を聞くために、もはや律法によって神に近づこうとしなくてもよい。十字架に自我が磔殺された魂に、キリストが内住し給う。主は我らの内に住み、内から語り給う。

 

本書に5つの犠牲が記されている。全焼のいけにえ(口語訳で燔祭)(1章)、穀物のささげ物(素祭)(2章)、和解のいけにえ(酬恩祭)(3章)、罪のためのいけにえ(罪祭)(4章)、罪過のためのいけにえ(愆祭(けんさい))(5章)だ。それぞれキリストの贖いと我らの魂に深い関係がある。

 

全焼のいけにえは、人が全身全霊を献げ、彼自身が神の所有となる献げ物だ。犠牲の動物が壇の上に載せられ、焼かれて煙となって昇り、神への香ばしい薫香になる。火で焼き尽くされた献げ物、すなわち聖霊の火の通った魂を神は受け入れ給う。

 

用いられる犠牲は、牛、羊、鳩といった身近な禽獣(きんじゅう)で、暴れて手に負えない猛禽(もうきん)ではなかった。神に受け入れられる魂は、従順に壇上に上る魂だ。いかに貧しい者であっても、鳩は献げることができた。主は公平なお方だ。信仰年限の長短ではなく、十字架を仰いで信仰に立つなら、誰でも主に喜ばれる犠牲になることができる。

 

正しく献げるなら、神は受け入れ給う。正しく献げるとは、悔い改めを繰り返したり、自分の情け無さを嘆くことではない。@過去の罪の精算は既に終わっていること。A己れの一物がキリストと共に十字架に釘付けられたとの信仰をいただくこと。Bキリストの内住の恵みをいただくことだ。これが全き献身だ。主に喜んでいただく者となるために、こういう全焼のいけにえを献げる献身者となりたい(ロマ12:1)。

 

全焼のいけにえが献げられた後、壇の上には灰だけが残る。灰は意志を持たず、風の吹くままに飛ばされる。全き献身の生涯とは灰の生涯だ。自分の思いではなく御心のままに生きる魂となりたい(詩40:8)。十字架の贖いは、我らをここまでする。贖われ甲斐のある者になりたい。

 

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