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	<title>教会員に聞いてみました</title> 
	<link>http://www.takara-eiko.com/report1/index.html</link> 
	<description>教会員に聞いてみました</description> 
	<language>ja-jp</language> 

	<pubDate>Sat, 12 Apr 2008 16:48:01 +0900</pubDate>
	<item>
		<title>こんな愚かな私をも　岩間　洋</title>
		<link>http://www.takara-eiko.com/report/kyoukaiin_index.html#1207986481</link> 
		<description>
			<![CDATA[
<div class="EditArea"><p><span style="color: #00cc00">聞き手；今回は、当教会の牧師、岩間洋さんに登場していただきました。岩間先生、どれくらい牧師として働いておられますか。<br /></span><span style="color: #ff9900">岩間師；ちょうど２３年になります。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: #00cc00">聞き手；そうですか。失礼ながら２３年前は、まだお若かったんでしょうね。<br /></span><span style="color: #ff9900">岩間師；そうですね。家内も私も３０才を出たばかりで、はりきっていましたね。それだけに失敗も多かったですが&hellip;。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: #00cc00">聞き手；いつか失敗談や苦労話も聞かせてください。みんなそんな話を聞きたいと思っていいるんですよ。<br /></span><span style="color: #ff9900">岩間師；わかりました。また機会がありましたら&hellip;。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: #00cc00">聞き手；では、お証しをお願いします。</span></p><p><br /><strong>こんな愚かな私をも<br />岩間　洋</strong></p><p>&nbsp;</p><p>私は、両親とも小学校の教師という家庭に生まれ、厳しくしつけられて育ちました。小、中、高と地元の学校で学び、勉強はそれほどできたわけではありませんでしたが、いわゆる「まじめ人間」で過ごしました。</p><p>&nbsp;</p><p>私の家庭は、無宗教の家で、仏壇もなく、小さな神棚がありましたが形だけのものでした。したがって、宗教心というものはまったく培われないまま育ちました。しかし、高校生のころ、吉川英治の小説「親鸞」を読んでとても感動し、将来は出家したい、などと思ったことが、宗教との最初の出会いと言うことが出来ます。</p><p>&nbsp;</p><p>京都のキリスト教系の大学に入り、初めて親元を離れました。その時、母が聖書をくれました。母はクリスチャンではありませんでしたが、若い頃あるクリスチャンの友人からもらった聖書で、読みもせずに押し入れにしまい込んでいたものを、キリスト教系の大学に入った私に横流しにしたわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>私は、外国文学を学ぶ上では必要な教養だという気持ちで、その聖書を読み始めました。新約聖書のマタイの福音書から読み始めたのですが、第１章は「イエス・キリストの系図」が記されています。なじみのないカタカナばかりの名前が列挙されていて、何の面白みもありません。すぐにいやになって、聖書を閉じてしまいました。けれども、しばらくすると、やはり気になって、聖書に手が伸びます。改めて読み始めます。しかし、どうしても系図のところで引っかかり、聖書を投げ出してしまう。しばらくは、この繰り返しでした。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、あるとき、思い切って聖書を読み進めていきました。すると、一つの御言葉に目がとまったのです。それは、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」というマタイの福音書5章3節の御言葉でした。教師の家庭で育った私は、ことあるごとに、&ldquo;心の豊かな人になりなさい&rdquo;と教えられました。ですから、この聖書の御言葉は、私にはとても不思議に思えました。</p><p>&nbsp;</p><p>けれども、反発を感じるということはなく、むしろ、新鮮で、意味深く思えました。正しい意味はわからないながらも、何か真理があるように思えたのです。それからというものは、貪るように聖書を読んでいきました。そして、まだ教会に行っていませんでしたが、聖書にこそ真理があると思うようになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>大学1年生の冬休み、郷里に帰省中に、教会のクリスマス集会に誘われました。これもやはり、クリスチャンの方が母を誘ってくださったのですが、興味がない母は、聖書に心を引かれ始めている息子の私に&ldquo;行ってみたら&rdquo;と勧めたのです。</p><p>&nbsp;</p><p>私は、妹と一緒に、生まれて初めてキリスト教会の門をくぐりました。語られたメッセージは、何一つ覚えていませんが、私を、まるで以前からの友だちであるかのように迎えてくださった教会の方々の暖かさに捕らえらました。そして、これからも教会に続けて行こうと思い、電話帳で下宿に一番近い教会を探し、京都市郊外の小さな教会に導かれました。</p><p>&nbsp;</p><p>その教会は、10人足らずで礼拝が守られている小さな教会で、珍しく大学生の求道者が来たというので、歓迎されました。初めは、行ったり行かなかったりのいい加減な礼拝出席でしたが、牧師先生から語られるメッセージに捉えられ、次第に熱心に求めていくようになりました。そして、2年ほどたって、自分から洗礼を受けたいと申し出、イースターの礼拝で受洗しました。1973年4月のことでした。</p><p>&nbsp;</p><p>こうして私はクリスチャンになりましたが、救いの確信があったわけではありません。それどころか、自分の罪もよくわからず、したがって十字架の意味も十分にわからないまま、ただ憧れで洗礼を受けたようなところがありました。当然、いい加減なクリスチャン生活しか送れませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、そんな私をも、神様は憐れんでくださいました。当時、私は体育会系のあるクラブに所属していましたが、マネージャーという立場を利用して、部員から集めた部費を私用に使い込んでいました。合宿の下見に一人で行く時、交通費だけではなく、昼食代やジュース代まで部費から支出し、誰にも分からないように帳簿を操作して、何食わぬ顔をしていました。みんなのために苦労しているのだから、これくらいの見返りはあって当然だ、と自分勝手な理由を付けて、正当化していたのです。</p><p>&nbsp;</p><p>ところが、ある日、神様は「罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。」というヨハネの福音書8章34節の御言葉をもって、私の心の内を照らし、神様に対して罪を犯していたことを示してくださいました。私は、それまで、まじめ人間と言われ、自分でもそう思いこんでいました。ところが、そうではなかったのです。表面はまじめそうで、いい人間ぶっていましたが、一皮むけば、自己中心の醜い姿をしていたのです。</p><p>&nbsp;</p><p>私は、牧師先生のところに行って、今まで犯してきた罪を一つ残らず悔い改め、イエス様の十字架を仰ぎました。その時、初めて、イエス様はこの私の罪のために十字架にかかって死んでくださったのだ、ということがわかりました。そして、罪が赦されたという確信が与えられ、今まで味わったことのない平安をいただきました。受洗して1年近くたっていました。あのときの感動は、今も忘れることがありません。</p><p>&nbsp;</p><p>その後、思想運動に走って信仰を捨てようかというところまで行くなど、紆余曲折はありましたが、こんな愚かな私をも真実な神様は導いてくださり、牧師として召してくださり、こうして神様に仕え、人々にイエス様の救いを宣べ伝える務めに当たらせてくださっています。神様に心から感謝します。</p></div>
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		</description> 
		<category>教会員に聞いてみました</category> 
		<pubDate>Sat, 12 Apr 2008 16:48:01 +0900</pubDate> 
	</item>

	
	<item>
		<title>解決を与えてくださったイエス様　平木むつみ</title>
		<link>http://www.takara-eiko.com/report/kyoukaiin_index.html#1204964684</link> 
		<description>
			<![CDATA[
<div class="EditArea"><p><span style="color: #ff9900">聞き手；<span style="color: #ff9900">今回は、がんばり屋お母さんのお証し（体験談）です。平木さんは、いつごろ教会に来られるようになったのですか</span>。</span></p><p><span style="color: #339900">平木姉；13年ほど前になると思います。友達に誘われて、平日の集会に初めて出ました。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: #ff9900">聞き手；どんな印象でしたか。</span></p><p><span style="color: #339900">平木姉；温かくて、心が和む所だと思いました。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: #ff9900">聞き手；人に教会を紹介するのに、どんなところがチャームポイントとしてアピールしますか。</span></p><p><span style="color: #339900">平木姉；そうですね。私は「園芸隊」の一員で、教会の内外にきれいなお花を植えたりしています。ですから、&ldquo;宝塚栄光教会は、きれいなお花があなたを迎えてくれますよ&rdquo;と言ってアピールしたいです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: #ff9900">聞き手；ありがとうございました。では、お証しをお願いします。</span></p><p>&nbsp;</p><p><strong><span style="font-size: 14px">解決を与えてくださったイエス様</span></strong></p><p><strong><span style="font-size: 14px">平木むつみ</span></strong></p><p>&nbsp;</p><p>私が教会へ行くようになったのは、近所の方が誘って下さった事がきっかけでした。けれども、私は、すぐに行ったのではなく、５年もたってからのことでした。<br /></p><p>&nbsp;</p><p>この頃の私は、子どもも大きくなり、生き甲斐を求めて、毎日忙しくしていました。人からもやさしい人だと言われ、自分も、そう言われる事に喜びをもっていました。人の前では物わかりのよい人のようにふるまい、家の中でも、良き妻、良き母であろうとしましたが、どこかでいつも肩に力をいれ、人の目を気にして生きているものでした。</p><p>&nbsp;</p><p>子どもが思春期になってくると、思いもしなかったことが次々とおこりました。家の中はぎくしゃくして悲惨な状態になっていきました。私は、なんとかしなければと、必死になり、あちこち走り回りましたが、何の解決もなく、事態はますます悪くなる一方でした。</p><p>&nbsp;</p><p>こんな時にも、私は、人の目ばかりを気にし、平静を装っていましたが、心の中は、不安でいっぱいでした。自分を責め、主人や子どもを責め、回りの人を皆、ねたましく思いました。こんな自分はいやだと思うのですが、どうすることもできませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>その頃、ずっと前にいただいていた教会の案内に書かれていた聖書の言葉に目が止まりました。「すべて重荷を負うて苦労しているものは、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」（マタイによる福音書11章28節口語訳）と書かれていました。私は、何度も何度も読み返しました。この言葉に心ひかれて、始めて教会へ行きました。にこやかに迎えて下さり、賛美される皆さんの顔が輝いて見え、そして、静かに語られる聖書の話をはじめて聞きました。<br /></p><p>&nbsp;</p><p>あまりよくわかりませんでしたが、心がとても落ちつき、ほっとしました。それから、集会に行くようになりました。メッセージを聞いていくうちに、これは、私の事ではないかとドキッとしました。私は、悪いことも何もしていないし、罪なんてないと思っていましたが、私こそまぎれもない、罪人だと思いました。人のためにとやってきたことも、いつも見返りを求めており、人によく見られたいという思いだけだったんだと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>神様を信じようともせず、畏れもせず、人の目ばかりを気にし、自分の事だけを思い、自分のためなら、どんなことでもする、人を見下し、人を裁き、私は、やさしい人間どころか、愛のかけらもない冷たい哀れな罪人であることがわかりました。「どうしてお前は私にたよらないのか。まだ、自分の力でしようとするのか」と神様の声が聞こえてきたように思いました。もう、どうすることもできず、私の行く所は、神様の所だけでした。</p><p>&nbsp;</p><p>私は、導かれるままに、神様の前に出、心に思いあたるすべての罪を悔い改め、イエス様の十字架は、私の罪のためだったと信じました。「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦されたのだ」と言って下さいました。</p><p>&nbsp;</p><p>神様は、強情で傲慢でどうすることもできなかった、私の罪を憐れみをもって赦し、救って下さいました。今まで、肩にのっていた重荷がとれ、身も心も軽くなり、うれしくて、感謝で涙が止まりませんでした。この時の喜びと、感謝は、今も忘れることはありません。</p><p>&nbsp;</p><p>この私の醜い罪のために、何の罪をおかされていないイエス様が多くの苦しみを受け、十字架にかかり、血潮を流して下さったこと、それほどまでに、私の罪は深いことを思いました。神様が、どこまでも忍耐して下さったことを本当に申し訳なく思います。</p><p>&nbsp;</p><p>神様がどれほど深く愛して下さったか、憐れんで下さったかと思うと、感謝という言葉では言いつくせない思いです。</p><p>&nbsp;</p><p>イエス様は、その後も、いつも真実に御言葉を通して、生活の一つ一つのことを通して、「お前はどうか」心深くに問いかけて下さいます。いつも、イエス様から目を離さないで、イエス様の語りかけの前に、真実に従っていきたい。そして、いつも喜んで御心に従っていく者になりたいと思います。</p></div>
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		</description> 
		<category>教会員に聞いてみました</category> 
		<pubDate>Sat, 08 Mar 2008 17:24:44 +0900</pubDate> 
	</item>

	
	<item>
		<title>「神様」という土台をいただいて　高知典子</title>
		<link>http://www.takara-eiko.com/report/kyoukaiin_index.html#1202556125</link> 
		<description>
			<![CDATA[
<div class="EditArea"><p><span style="color: #006666">聞き手；今回は５年前にクリスチャンになられた、高知典子さんに登場していただきます。高知さん、クリスチャンになられる前の自分と比べて、今の自分をどのように思われますか。</span><span style="color: #0066ff"><br /></span><span style="color: #ff9933">高知姉；それはもう、まったく違います。自分で言うのも変ですが、別人のようです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: #006666">聞き手；どのように変わりましたか。<br /></span><span style="color: #ff9933">高知姉；それは、証しをお読みいただければお分かりになります。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: #006666">聞き手；では、今、一番関心があるものは何ですか。<br /></span><span style="color: #ff9933">高知姉；そうですね&hellip;。自分自身がもっともっと神様に喜んでいただける魂になりたいということですね。以前は、おしゃれや旅行など、外側のものに一番心を引かれていたのです。これも大きな変化ですね。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: #006666">聞き手；ありがとうございました。では、お証しをお願いします。</span></p><p>&nbsp;</p><p><strong>「神様」という土台をいただいて</strong></p><p><strong>高知典子</strong></p><p>&nbsp;</p><p>私が初めて教会を訪れたのは、２００２年８月、息子が４歳になったころでした。それまでの私は、自分のことをとても幸せだと思っていました。仕事と家庭の両方を手に入れ、レジャーやショッピングで充実した週末を過ごし、休暇には家族で旅行に行く・・・学生時代に思い描いていたままの結婚生活を送る日々に、とても満足していました。けれど、時々、この幸せにはどこか「土台がない」ように感じることがありました。でも「人生はこんなものよ。これを幸せというのよ。」と思っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>また、実は「幸せだ」と言いながらも、自分の心の中に、友人や夫にすら言えない黒いものがあることに気づいていました。ある「思い」が、まるで太陽の黒点のように、きらきら輝く幸せの中に小さな染みを作っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>それは「母との確執」でした。母とは、息子の出産後、子育てを通して様々な意見の食い違いが生じたことをきっかけに、些細なことでも激しく衝突するようになっていました。姑や他人が言えば素直に聞けることでも、身内である母に言われるのは我慢が出来ず、言い争いになることがよくありました。実家へは月に１〜２度は帰っていましたが、喧嘩した挙句、予定を切り上げて帰ってくることもありました。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなことを繰り返すうちに、母のことを考えると、なんとも言えない・・・いやな気持ちが湧き上がってくるようになりました。こんな気持ちは人には絶対に言えませんでした。けれど、自分ではどうすることも出来ません。母を憎んでいるわけはなく、うまくやりたいと思うのに、考えると腹が立ってくる・・・許せない・・・この気持ちは一生消えることがないように思えました。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな私の「幸せ」でしたが、やがて思いもよらなかった問題が家庭内に起こり、私は耐えられないほどの苦境に立たされることになりました。夫と争うことが増え、そのたびに出てくるのは、ののしり、疑惑、憎しみ、怒り・・・今まで隠していたものがすべて噴出されるようでした。自分の中の汚いものに耐えられなくなっていたとき、私は、三浦綾子さんの著書と出会いました。そこには、神様を信じる清らかな人たちの姿が書かれていました。「私もこうなりたい！」そう願って、私は、インターネットで調べた宝塚栄光教会の門をたたきました。</p><p>&nbsp;</p><p>この教会に通い始めて、私は、自分がいかに傲慢な人間であったかわかり、そして、イエス様がこんな私の罪を赦すために十字架にかかってくださったのだと知りました。私は、牧師夫人に導いていただきながら、犯してきた罪をすべて告白し、イエス様の十字架を信じて、救いをいただきました。</p><p>&nbsp;</p><p>救われて、私は、神様に変えていただきました。母に謝り、絶対になくならないと思っていた母への苦い思いは、嘘のように消え去りました。また、母以外にも上手くやっていくことの出来ない仕事上の知人がありましたが、その方とも、以前の私では考えられないような信頼関係を築くことになりました。以前は対立してばかりだった上司からは「変わったね。よくなった。」と言われ、とてもびっくりしました。変わろうと思って変わったわけではありませんでした。ただ、私を救って下さった神様、私を愛して下さっている神様を、私も愛したいと願った結果でした。</p><p>&nbsp;</p><p>けれど、神様が私に与えたいと思ってくださっているのはそんなものだけではないでしょう。神様がこの私のためにご計画してくださり、与えようとしてくださっている人生・・・私はその通りに生きたいと願っています。教会に来る前の私が漠然と感じていた「土台のなさ」は、この神様を知らないということだったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>本当の神様を知った今は、どんな苦境の中にあっても、不安はありません。神様という「土台」があります。それは漠然としたものではなく、確かなものなのです。これからも、もっともっとこの神様を信じていこうと思っています。</p></div>
			]]>
		</description> 
		<category>教会員に聞いてみました</category> 
		<pubDate>Sat, 09 Feb 2008 20:22:05 +0900</pubDate> 
	</item>

	
	<item>
		<title>キャンプで救われて　　藤岡憧娘</title>
		<link>http://www.takara-eiko.com/report/kyoukaiin_index.html#1200138453</link> 
		<description>
			<![CDATA[
<div class="EditArea"><p><span style="color: #999900">聞き手；今回も、１２月３０日に洗礼を受けたばかりの小学６年生、藤岡憧娘さんにお聞きします。憧娘さん、受洗おめでとうございます。</span></p><p><span style="color: #ff00ff">藤岡さん；ありがとうございます。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: #999900">聞き手；憧娘さんは教会が大好きと聞きましたが&hellip;。</span></p><p><span style="color: #ff00ff">藤岡さん；はい、聖書のお話を聞いたり、賛美したりするのが楽しみなんです。友達とおしゃべりしたり遊んだりするのも楽しいし&hellip;。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: #999900">聞き手；憧娘さんの将来の夢は何ですか。</span></p><p><span style="color: #ff00ff">藤岡さん；まだはっきりわからないけど、神様に喜んでいただける仕事がやりたいです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: #999900">聞き手；ありがとうございました。では、証しをお願いします。</span>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 14px"><strong>キャンプで救われて</strong></span></p><p><strong>藤岡憧娘</strong></p><p>&nbsp;</p><p>私が教会に来たのは、２才の時です。初めは、サンデーキッズの話を聞いていても、「何して遊ぼっかな〜 」とかしか考えていなかったけど、だんだん「救われなかったら天国に行けない」とか、「イエス様は自分のために死んでくれた」とか言われる意味が分かってきました。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、今年のサンデーキッズのキャンプの時に、千恵子先生の所に行って罪をくいあらためて、イエス様の十字架が私のためだったと信じて、救ってもらいました。これからも、イエス様の事を信じて生きて行きたいです。</p></div>
			]]>
		</description> 
		<category>教会員に聞いてみました</category> 
		<pubDate>Sat, 12 Jan 2008 20:47:33 +0900</pubDate> 
	</item>

	
	<item>
		<title>救いを感謝します　　日比野志穂</title>
		<link>http://www.takara-eiko.com/report/kyoukaiin_index.html#1200138015</link> 
		<description>
			<![CDATA[
<div class="EditArea"><p><span style="color: #339966">聞き手；今回は、１２月３０日に洗礼を受けられた高校生、日比野志穂さんにお聞きします。志穂さん、受洗おめでとうございます。</span></p><p><span style="color: #ff00ff">日比野さん；ありがとうございます。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: #339966">聞き手；志穂さんは小さい頃から教会学校に来ていたのですね。</span></p><p><span style="color: #ff00ff">日比野さん；はい、小さい頃は、姉たちや兄と一緒に教会学校に来ていました。あのころは教会が家のすぐ近くにあったので&hellip;。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: #339966">聞き手；聖書のお話を真剣に聞くようになったのは、いつごろからですか。</span></p><p><span style="color: #ff00ff">日比野さん；そうですね&hellip;、小学校高学年ぐらいになってからだと思います。これからは、もっともっとみ言葉を聞いて、神様に従っていきたいと思います。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: #339966">聞き手；ありがとうございました。では、お証しをどうぞ。</span>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 14px"><strong>救いを感謝します</strong></span></p><p><strong>日比野志穂</strong></p><p>&nbsp;</p><p>私は、小さい頃からこの宝塚栄光教会に通っていました。小さい頃から聖書のお話を聞いていましたが、あまり心に止まっていませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>成長するにつれ私は、自分の罪について考えるようになりました。そして、犯してしまった罪のことを思い出しては、すごく自分が嫌になって、やりきれない気持ちでいっぱいになりました。それでも、自分の罪を告白して洗礼を受けることができませんでした。なぜなら、私の今まで犯してきた罪は、どす黒くてひどいものばかりで、それを他の人に告白するのがすごく恥ずかしくて、とても言えないと思っていたからです。</p><p>&nbsp;</p><p>でもヤングライフのキャンプの時、先生の勧めで、私は千恵子先生の所に行って、神様に自分の罪を告白することができました。私が罪を告白している時、一生懸命聞いて下さって、罪を告白した後も一生懸命祈って下さった千恵子先生、ありがとうございます。私は、イエス様の十字架を信じて救っていただいたことを感謝します。</p><p>&nbsp;</p><p>洗礼の準備に携わって下さった岩間先生、風邪や学校の行事などで行けなくて、ご迷惑をかけましたが、こうして洗礼を受けさせていただけることを感謝しています。</p><p>&nbsp;</p><p>洗礼の準備をして下さった人達もありがとうございます。これから迷惑とかかけるかもしれませんけど、よろしくお願いします。</p></div>
			]]>
		</description> 
		<category>教会員に聞いてみました</category> 
		<pubDate>Sat, 12 Jan 2008 20:40:15 +0900</pubDate> 
	</item>

	
	<item>
		<title>洗礼の喜び　　金澤明子・加寿子</title>
		<link>http://www.takara-eiko.com/report/kyoukaiin_index.html#1200129997</link> 
		<description>
			<![CDATA[
<div class="EditArea"><p><span style="font-size: 12px; color: #993300">聞き<span style="color: #993300">手&nbsp;；今回は、１２月２日に洗礼を受けられた金澤明子さんと、娘さんの加寿子さんにお聞きします。金澤明子さん、加寿子</span>さん、受洗おめでとうございます。</span></p><p><span style="font-size: 12px; color: #ff00ff">明子さん・加寿子さん；ありがとうございます。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 12px; color: #993300">聞き手；明子さんはピアノの先生だとお聞きしましたが&hellip;。</span></p><p><span style="font-size: 12px; color: #ff00ff">明子さん；はい、家で教室を開いています。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 12px; color: #993300">聞き手；どのようにして教会に来られるようになったのですか。</span></p><p><span style="font-size: 12px; color: #ff00ff">明子さん；娘の加寿子が教会のコンサートに参加するようになり、私も誘われて足を運ぶようになりました。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 12px; color: #993300">聞き手；加寿子さんも若い頃から音楽を愛されたそうですね。</span></p><p><span style="font-size: 12px; color: #ff00ff">加寿子さん；はい、楽器を奏でたり聞いたりするのが大好きでした。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 12px; color: #993300">聞き手；金澤家は音楽一家なんですね。</span></p><p><span style="font-size: 12px; color: #ff00ff">明子さん；音楽が神様のために用いられたら素晴らしいと思います。</span></p><p><span style="font-size: 12px; color: #ff00ff">加寿子さん；本当に、これからは神様を賛美する音楽が出来るようになりたいと思います。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 12px; color: #993300">聞き手；ありがとうございました。では、お証しをお願いします。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 14px"><strong>洗礼の喜び</strong></span></p><p><span style="font-size: 12px; color: #000000"><strong>金澤明子</strong></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 12px">私達が栄光教会に通うようになって、１年になろうとしています。教会の先生に導かれて、罪を悔い改め、イエス様の十字架を信じて、赦していただきましたことを感謝致します。<br /></span></p><p><span style="font-size: 12px">　「洗礼」を受けたいというはっきりとした思いは、この度はじめてで、自分でも驚いております。遠い先の事だと思っておりましたのに&hellip;。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 12px">教会へ通うことを勧めてくださり、また「洗礼を受けて初めて心が決まる」とおっしゃった大切な友の励ましに、心が動かされました。</span></p><p><br /><span style="font-size: 12px">この教会に通う方々が、優しい表情で、温かいことに心潤されました。この温かい輪の中に、加寿子共でご一緒できますよう努力したく、よろしくお願い申し上げます。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><strong><span style="font-size: 12px">金澤加寿子</span></strong></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 12px">以前、一人暮らしをしていた頃、ポストに栄光教会からのコンサートなどのお知らせがあり、場所も近く、よく聞きに行きました。</span></p><p><br /><span style="font-size: 12px">罪深い事もいろいろしてきましたが、罪を悔い改めて、イエス様の十字架が私のためだったと信じて、罪をゆるしていただきました。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 12px">こんなに早くゆるしていただけるなんで、とても信じられない気持ちですが、今は、すくわれた事をとても感謝しています。</span></p></div>
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		</description> 
		<category>教会員に聞いてみました</category> 
		<pubDate>Sat, 12 Jan 2008 18:26:37 +0900</pubDate> 
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