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	<title>24時間希望のダイヤル</title> 
	<link>http://www.takara-eiko.com/report3/index.html</link> 
	<description>24時間希望のダイヤル</description> 
	<language>ja-jp</language> 

	<pubDate>Sat, 03 May 2008 17:40:22 +0900</pubDate>
	<item>
		<title>希望のダイヤル：　神様のみ言葉は道の光</title>
		<link>http://www.takara-eiko.com/report/kibou_index.html#1209804022</link> 
		<description>
			<![CDATA[
<div class="EditArea"><p><strong>詩篇１１９：１０５</strong></p><p>&nbsp;</p><p>お元気でいらっしゃいますか。<br /></p><p>あなたは、真っ暗闇の中を、懐中電灯も何も持たずに歩かれたことがありますか。暗中模索といいますが、手探りで、おっかなびっくりの歩みしかできないでしょうね。しかし、手にろうそく一本でも持っていれば、足下を照らすことができ、まっすぐに道を歩いていけますね。聖書の詩篇１１９篇１０５節に、こう書かれています。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」神の御言葉は、私たちが道を誤らずに正しく歩んでいく灯火のようなものだというのです。短い言葉ですが、真理を言い当てています。</p><p>&nbsp;</p><p>私たちは、自分の生き方が間違っていないかどうかの判断基準を、いろいろなものに求めます。親や先輩の意見、人生論を述べた本、あるいは、最近は自分の感覚が基準だという人もいるでしょうか。しかし、どれも確かなものではなく、人によって様々であったり、時代によって全く異なっていたりします。これというものがありません。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな中で、聖書の御言葉は、私たちの足下を照らし、道を正確に教え、誤りなく目的地に導いてくれます。何よりも、御言葉は、私たちの内にある罪をわからせます。私たちが神の前に罪人であることは、御言葉の光に照らされて初めてわかります。わかったら、もうそのままにはしておけません。片時も罪を持っていたくないと思います。そこから悔い改めへと追いやられるのです。そのように導くのは、御言葉です。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、御言葉は、そこからどのようにすれば救われるかを示してくれます。イエス・キリストの十字架を信じるのです。このようにして、御言葉は、確実に私たちを救いに導き、さらに主の元にある深い恵みの生涯へと導いてくれるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>テロが頻繁に起こり、凶悪事件が日常茶飯事のように報道され、何が起こっても不思議ではない不安定な時代です。みんなが自分のことしか考えていません。人間のもっとも深い闇の部分がえぐり出されていくような思いがします。私たち一人一人が、神の御言葉を灯火として歩んでいたなら、と思います。</p><p>&nbsp;</p><p>あなたは、灯火を持っておられるでしょうか。ぜひイエス・キリストのもとにおいでください。教会では、&ldquo;希望にあふれて生きる&rdquo;というテーマのもと、５月の４回の日曜礼拝を&ldquo;福音のつどい&rdquo;として、どなたでもおわかりいただけるやさしい聖書のお話をしています。とくに１１日（日）午後３時より、田中恵子さんとその仲間たちをお招きして、&ldquo;チャペルコンサート&rdquo;を開きます。ぜひおいでくださり、神様の愛に触れてください。神様はあなたを招いておられます。心からお待ちしています。</p></div>
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		</description> 
		<category>24時間希望のダイヤル</category> 
		<pubDate>Sat, 03 May 2008 17:40:22 +0900</pubDate> 
	</item>

	
	<item>
		<title>希望のダイヤル：　イエスの血の力</title>
		<link>http://www.takara-eiko.com/report/kibou_index.html#1209202222</link> 
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			<![CDATA[
<div class="EditArea"><p><strong>１ヨハネ１：７</strong></p><p>&nbsp;</p><p>こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。</p><p>&nbsp;</p><p>聖書は、ドラマで満ちています。旧約時代の昔、アラムの国に、ナアマンという、大変武勇に富んだ優れた将軍がいました。ところが彼は、人知れず悩んでいました。ツァラアトという重い病を患っていたのです。この病は、放っておくと死に至る不治の病とされ、恐れられていました。勇敢で数々の功績を収めた戦士も、この病には手も足も出なかったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなナアマンに、朗報が届きました。隣のイスラエルの国にいる預言者エリシャなら治せるというのです。彼はさっそく、多くの土産を携えて、エリシャのもとに行きました。ところが、ナアマンに伝えられたエリシャの指示は、「ヨルダン川で７回体を洗いなさい」でした。ナアマンは激怒しました。あまりにも簡単すぎる方法だったからです。彼はバカにされたように思い、怒って立ち去ろうとしました。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、ナアマンの部下たちは彼をなだめました。ヨルダン川で身を洗うというだけのことだから、だまされたと思ってやってみたら&hellip;というわけです。彼は納得し、ヨルダン川に行き、裸になり、流れに身を沈めました。そして、言われた通りに７回身を洗いました。すると、なんと彼の体は、赤ん坊の体のようにきれいになったではありませんか。</p><p>&nbsp;</p><p>ナアマンの体が清められたのは、エリシャの言葉に従ったからです。私たちも、罪から救われるのは、み言葉に従い、キリストの十字架を信じることによるのです。あまりも簡単なことなので、多くの人は信じません。そんなことで清くなれるはずがないと思うのです。しかし、救いの道は、難しい道ではありません。誰にでも入れる道ですから、簡単なはずです。み言葉の通りに十字架を信じるだけです。</p><p>&nbsp;</p><p>新約聖書のヨハネの手紙第一１章７節に、「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」とあります。キリストの十字架の血潮が、私たちを罪から救います。キリストの十字架の血潮を信じる信仰によって、救われるのです。<br />　あなたも、ナアマンのように、簡単すぎてバカにされているように思いますか。そのナアマンも、とにかく従いましたから、救われました。あなたも、キリストの十字架を、信じてごらんになりませんか。一度聖書のお話をお聞きになりませんか。</p><p>&nbsp;</p><p>教会では、&ldquo;希望にあふれて生きる&rdquo;というテーマのもと、５月の４回の日曜礼拝を&ldquo;福音のつどい&rdquo;として、どなたでもおわかりいただけるやさしい聖書のお話をします。とくに１１日（日）午後３時より、田中恵子さんとその仲間たちをお招きして、&ldquo;チャペルコンサート&rdquo;を開きます。ぜひおいでくださり、神様の愛に触れてください。神様はあなたを招いておられます。心からお待ちしています。</p></div>
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		</description> 
		<category>24時間希望のダイヤル</category> 
		<pubDate>Sat, 26 Apr 2008 18:30:22 +0900</pubDate> 
	</item>

	
	<item>
		<title>希望のダイヤル：　信じて出発する</title>
		<link>http://www.takara-eiko.com/report/kibou_index.html#1208591872</link> 
		<description>
			<![CDATA[
<div class="EditArea"><p><strong>ヘブル１１：８</strong></p><p>&nbsp;</p><p>こんにちは。お元気でお過ごしでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>新約聖書のヘブル人への手紙１１章８節に、こういうみ言葉があります。「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」</p><p>&nbsp;</p><p>旧約聖書に登場するアブラハムという人は、神様を信じ敬う敬虔な人でした。幸せな家庭があり、多くの財産も持っていました。しかし、一つだけ不満がありました。それは、住んでいる町が、最初に神様が示された所ではなかったということです。はじめ神様は、アブラハムの父テラに、カナンの地に行くように言われました。テラは家族を連れて出発し、カナンを目指しましたが、旅に疲れたのか、途中のハランという所に落ち着いてしまったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>そこは平和な所でした。しかし、アブラハムには&ldquo;これでいいのだろうか&rdquo;という疑問がいつもありました。神様は、もっとすばらしい所に導こうとしておられるのに、ここで満足していていいのだろうか、と思っていたのです。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなある日、アブラハムは、「わたしが示す地へ行きなさい」という神様の声を聞きました。どこへ行けとは言われません。神様が示される地へ行くように言われるのです。彼はすぐに従いました。親しんだ親族に別れ、住み慣れた故郷を後にして、家族を連れて出発しました。従えば必ず祝福がある、と信じて、神様のみ言葉に従ったのです。その結果、彼は、最初に父テラに示された地、カナンに導かれました。そこで彼は神様から大いに祝福されました。み言葉に従って出発したことによっていただいた豊かな祝福でした。</p><p>&nbsp;</p><p>私たちも、出発しなければならないときがあります。そこには、決断が必要です。何を基準にして決断すればよいでしょうか。自分の考えや、経験や知識、人の意見やこの世の思想でしょうか。いいえ、神様のみ心です。神様がどのように語っておられるかを聞き取ることです。どこで神様のみ心がわかるでしょうか。祈りのうちに、また聖書のみ言葉の中に、み心が示されます。</p><p>&nbsp;</p><p>神様は、私たち一人ひとりを愛していてくださいます。その愛は、御子イエス様を十字架につけるほどの愛でした。神の御子イエス様は、私たち罪人のために、身代わりになって十字架についてくださいました。私たちがこのイエス様の十字架を信じるなら、全ての罪が赦され、救われます。神様は、この救いを私たちに与えるために、イエス様を十字架につけてくださったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>そこまで私たちを愛してくださった神様は、私たち一人ひとりにすばらしい計画を持っていてくださいます。その計画はすぐには私たちにはわからないかもしれませんが、私たちが神様のみ心に従って出発するかどうかが問われます。</p><p>&nbsp;</p><p>まずイエス様の十字架による罪の赦しの救いをいただきましょう。そして、信仰をもってみ言葉に従い、出発しましょう。そうすれば、必ず神様の豊かな祝福があります。</p><p>&nbsp;</p><p>教会では、&ldquo;希望にあふれて生きる&rdquo;というテーマのもと、５月の４回の日曜礼拝を&ldquo;福音のつどい&rdquo;として、どなたでもおわかりいただけるやさしい聖書のお話をします。とくに１１日（日）午後３時より、田中恵子さんとその仲間たちをお招きして、&ldquo;チャペルコンサート&rdquo;を開きます。ぜひおいでくださり、神様の愛に触れてください。神様はあなたを招いておられます。心からお待ちしています。</p></div>
			]]>
		</description> 
		<category>24時間希望のダイヤル</category> 
		<pubDate>Sat, 19 Apr 2008 16:57:52 +0900</pubDate> 
	</item>

	
	<item>
		<title>希望のダイヤル：　宝は天に</title>
		<link>http://www.takara-eiko.com/report/kibou_index.html#1207986124</link> 
		<description>
			<![CDATA[
<div class="EditArea"><p><strong>マタイ６：１９，２０</strong></p><p>&nbsp;</p><p>こんにちは。ご機嫌いかがですか。</p><p>&nbsp;</p><p>子どものころ、お金持ちになれたらいいな、なんて思ったことがあります。まだイエス・キリストというお方を全く知らない時でした。お金の力は凄いものだと思います。良い使い方をすれば、社会にも個人にも役立つものなのですが、一歩間違えれば、人間の心を汚染し、私たちの住む世界を破壊してしまうのです。</p><p>&nbsp;</p><p>イエス・キリストはマタイの福音書６章１９，２０節でこのように言われました、「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。」</p><p>&nbsp;</p><p>私たちは、一生懸命働いて収入を得、少しでも貯金をして、生活を安定させようと努力をします。しかし、営々として貯えた富みを、火事や盗難に遭って一瞬にして失うということもあり得るのです。またそういった災難に遭わなくても、やがて訪れる死の向こうには、私たちは、一円のお金も持っていくことはできません。地上の富とは、はかないものです。</p><p>&nbsp;</p><p>イエス様は、「宝は天にたくわえなさい」と言われました。天国では、朽ち果てる地上の宝は通用しません。地位や富を築いた人は、それがいつ壊されるか気が気ではない、ということを聞いたことがあります。地位や富は、私たちに本当の安心、平安を与えてはくれないのです。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、イエス・キリストを信じて救われますと、魂に本当の平安を持つことができます。キリストは、私たちの罪のために十字架にかかって死なれました。この十字架を信じる人は誰でも罪が赦され、永遠の命をいただくことができます。永遠の命−これこそ、わたしたちが天国に持っていくことのできる宝なのです。そして、この宝をもっていれば、私たちは心に平安を持つことができるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>あなたはどんな宝を持っておられるでしょうか。天に本当の宝を貯える者になりませんか。</p><p>&nbsp;</p><p>教会では、&ldquo;希望にあふれて生きる&rdquo;というテーマのもと、５月の４回の日曜礼拝を&ldquo;福音のつどい&rdquo;として、どなたでもおわかりいただけるやさしい聖書のお話をします。とくに１１日（日）午後３時より、田中恵子さんとその仲間たちをお招きして、&ldquo;チャペルコンサート&rdquo;を開きます。ぜひおいでくださり、神様の愛に触れてください。神様はあなたを招いておられます。心からお待ちしています。</p></div>
			]]>
		</description> 
		<category>24時間希望のダイヤル</category> 
		<pubDate>Sat, 12 Apr 2008 16:42:04 +0900</pubDate> 
	</item>

	
	<item>
		<title>希望のダイヤル：　我らにイエスあり</title>
		<link>http://www.takara-eiko.com/report/kibou_index.html#1207393070</link> 
		<description>
			<![CDATA[
<div class="EditArea"><p><strong>ヘブル４：１４</strong></p><p>&nbsp;</p><p>こんにちは。今回は少し長くなることを、初めにお断りしておきます。<br /></p><p>４月のこの時期、私は一人のクリスチャンの女性のことをお話しないわけにはいきません。彼女の名前は中江美智子さん。私たちの教会の大切な一員でしたが、昨年４月７日朝に、病院の集中治療室で、５０才の生涯を終えて、天国に凱旋しました。ちょうどイースターの前日で、翌日のイースターの午後、教会でお葬式を行いました。</p><p>&nbsp;</p><p>美智子さんの辞世の言葉は、&ldquo;我らにイエスあり&rdquo;。これは、新約聖書ヘブル人への手紙４章１４節からきている言葉です。こうあります。「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。」</p><p>&nbsp;</p><p>彼女は、学生時代にイエス・キリストと出会い、信じて、魂の救いをいただきました。その後、結婚によって宝塚に導かれ、私たちの教会が設立されてからまもなく、転籍をして、私たちの教会のメンバーになりました。彼女は、聖書のみ言葉と私たちの指導に忠実に従い、どんどん神様の恵みに開かれていき、私たちと心を一つにして、主と教会に仕える者となっていきました。</p><p>&nbsp;</p><p>数年前に、乳がんが見つかり、直ちに手術を受け、しばらくは治まっていましたが、２００５年に再発。病状は徐々に進行していきました。彼女は、医師のすすめを断って、入院せずに通院で治療を受け続けました。教会での礼拝や祈祷会を休みたくなかったからです。神様のみ言葉を聞かないで過ごすということは、彼女には耐えられなかったのです。彼女は、可能な限り、ほかの人と同じように集会に出席し、奉仕し、力強く祈り、また誰かれなく愛しました。実に忠実な主のしもべに徹した人でした。</p><p>&nbsp;</p><p>その美智子さんも、２００６年暮れ、よくよく注意はしていたのですが、インフルエンザにかかり、年が明けると急激に弱りました。それでも、み言葉の前に出てこようとする姿勢は崩さず、４月４日の祈祷会まで出席しました。召されたのはその３日後のことでした。肺炎を併発していました。そのようにして、最後の一息まで忠実に主に従った彼女に、神様は、&ldquo;もういいよ、よく戦った。休みなさい&rdquo;と言われるようにして、彼女の魂を静かにお取りになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>召される２日前は、いつもの病院に行く日でした。美智子さんは、笑みを浮かべ、軽くこぶしを挙げて&ldquo;我らにイエスあり&rdquo;と言って家を出たそうです。&ldquo;十字架にかかって罪に勝ち、よみがえって死に勝たれたイエス様が私たちにはいてくださるのだから、どんなことがあっても私たちは勝利だ&rdquo;というメッセージがこめられています。</p><p>&nbsp;</p><p>イエス・キリストは、私たちの罪のために十字架で死なれ、三日目によみがえって、私たちに永遠のいのちを約束してくださいました。私たちがこのイエス様を信じれば、罪が赦され、復活の力をもって勝利をしつつ歩んでいくことができます。美智子さんは、この勝利を得ていましたから、信仰によって病にも勝ち、死にも勝ちました。</p><p>&nbsp;</p><p>彼女を失ったことは、私たちにとって大きな悲しみでした。しかし、彼女が残してくれたものがどれほど大きいかを考えれば、感謝です。彼女は、私たちも&ldquo;我らにイエスあり&rdquo;と信仰をもって主に従っていくかどうかを、天国から見ています。やがて私たちも天国に行き、彼女に再会しますが、そのとき、主と彼女に恥じることがあってはなりません。十字架と復活のイエス様を信じて、従っていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>最後になりましたが、彼女の出身地である新潟におられるご両親やご親族の方にも、イエス様を信じることのこの幸いを受け取っていただきたいと、心から願っています。</p></div>
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		</description> 
		<category>24時間希望のダイヤル</category> 
		<pubDate>Sat, 05 Apr 2008 19:57:50 +0900</pubDate> 
	</item>

	
	<item>
		<title>希望のダイヤル：　助けは主から</title>
		<link>http://www.takara-eiko.com/report/kibou_index.html#1206778226</link> 
		<description>
			<![CDATA[
<div class="EditArea"><p><strong>詩篇１２１：１，２</strong></p><p>&nbsp;</p><p>こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。<br /></p><p>&nbsp;</p><p>幸せでありたい、というのは、私たち全ての願いです。幸せを願わない人は誰もいません。しかし、何が私たちを真に幸せにするのでしょうか。お金でしょうか。名誉や地位でしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>財産があっても、心に安らぎがない人はたくさんいます。また、高学歴を持っている人が、とんでもない犯罪を犯す例を、私たちは見ています。真の幸福は、お金や名声からは来ないのです。では、どこから来るのでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>旧約聖書の詩篇１２１篇１，２節にこうあります。「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る」。私たちの救い、私たちの幸せは、この天地を創造された生ける神から来るのです。</p><p>&nbsp;</p><p>天地を創造された神とは、なんとスケールの大きい神でしょうか。しかも、この生ける神は、目があっても見ることができず、手があっても助けることができない偶像とは違います。私たちの悩み、苦しみをつぶさに見てくださり、私たちを罪と滅びから救い出してくださる御方です。</p><p>&nbsp;</p><p>罪と滅びと言いました。罪とは、私たちの心が本当の神様から離れていることです。私たちは、天地を創造されたまことの神様を知らず、知ろうともせず、自分勝手な歩みを続けてきました。人に対しても冷淡で、傲慢で、邪悪な思いを持つのは、まことの神様から離れていることが原因なのです。その結果、私たちは皆滅ぶべき者となっています。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな私たちを、神様は深く憐れんでくださり、私たちのためにキリストをお送りくださったのです。キリストは、罪を知らない御方でしたのに、私たちに代わって十字架にかかって死なれました。私たちは、自分の罪を悔い改め、キリストが私のために十字架にかかってくださったと信じるなら、誰でも、どんな罪でも赦され、救われます。この救いをいただいた者が、幸いな者なのです。</p><p>&nbsp;</p><p>昨年の今頃、天国に行かれた、私たちの愛する故・中江美智子さんは、この幸いを得て、病との闘いの中にあっても、最後まで平安のうちに歩まれました。その中江さんを偲んで、来週４月６日（日）には召天一周年の記念礼拝を行うのですが、あなたも、天地を創造され、キリストを十字架におかけになるほど私たちを愛してくださった本当の神様を信じて、救いをいただかれませんか。そして、本当の幸いを掴んでみませんか。</p></div>
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		</description> 
		<category>24時間希望のダイヤル</category> 
		<pubDate>Sat, 29 Mar 2008 17:10:26 +0900</pubDate> 
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